辻という萌え

散々言っているが、のの萌えである。
のの萌えっていうのは、アニヲタの萌えに近いのではないかと思っている。実際はどうか知らない。
辻って、ものすごく近く感じる、どこにでもいそうな女の子に感じることもある。
一方で、ものすごく遠く、というよりは、実在しない感覚を持つこともある。辻って、いるんだっけ。
辻に対する萌えを思うとき、それが何を欲望しているのか分からない。
辻は恋愛対象ではない。おそらく90%以上の辻ヲタにとって、恋愛対象ではない。
ではどのように欲望されているのか。つまり、どうすれば辻ヲタは満たされるのか。
恋愛対象なら、簡単だ。恋人になれば、とりあえず目的は達成される。欲望は満たされるかもしれない。しかし、辻ヲタはそもそも目的があるのか?何に向かっているのだ?
例えばわしが何でものぞみが叶うことになったとしよう。そしたら、何を望もう。なんか、砂場でののたんと砂遊びしたいねえ、くらいじゃないの。あー痛々しい。
なんというのかな、辻に対して「現実的に」欲望することが不可能に思えるのだ。
辻という現実の存在に対して想像することもわしにはできない。例えば辻を「人間」とか「女性」とかいう概念とつきあわせて考えたりすることがどうもうまくできそうにない。辻を虚構の存在と言ってしまいたくもなるのだ。そんな辻だからこそ今回のミュージカルもこなせるわけだが。
つーわけで、辻への萌えは例えば東浩紀が言うようなオタクの萌えに近いのではないかと思われる。
そいでもって、どうやったら満たせるかよく分からない欲望は、とりあえずののたんを見たいというさしあたっての欲望の連続となるわけで、あー、池袋の4列をまた落としてしまったよ。
東の言うように、それは「薬物依存に似ている。」