鏡(かがみ)

誰かを好きだと、相手がどんどんすごい人になる。
相手のことが全部好きになってしまうのだから、欠点のない、完璧な人になってしまう。
相対的に、自分の欠点はよく見える。
だから、完璧なあなたが、欠点だらけのわたしをなぜ好きなのか、という疑念が不可避的に湧いてしまう。
相手の態度が、わたしに対する気遣いなのではないか、わたしが相手にわがままを押し付けているのではないか、という気になる。なにしろ相手は完璧なので、わたしのわがままも全部聞いてくれそうなのだ。だからわたしは、相手になるべく気を遣わないでもらおうとする。相手にわがままを言ってほしいと思うようになる。


ところが。
相手にとっても同じ事態が起きている。
互いが相手の幸せを願うがゆえに、互いの心に疑念を生む、という恋愛の性がここにある。
相手のわがままを覗き込もうとしても、そこには相手はいない。自分が映っているのだ。鏡が自分を映すように、相手には相手側の欲望が見えない。相手には、わたし側の幸せを願う欲望しか見えない。だからさらに不安になる。気を遣っているんじゃないか。あるいはもしかしたら、別の目的があるんじゃないだろうか。
互いが相手という鏡を覗き込んで、その中にわたしが映りこむのを見る。すると、相手がそこにいるのかいないのかよく分からなくなってくる。相手と一体化したいのに、相手がいない。互いが相手の幸せをこそ準拠点としているがゆえに、互いにとって相手が見えない。そんな面白くも、切ない事態に陥る。


相手を必要以上に崇めることもしないようにしなければならない。
相手を見上げるために、自分がかがみこんでいるだけかもしれないのだ。