みみかきという行為

アメ横センタービルの階段を上がっていく途中のフロアが、みみかき屋さんになってました。
そういや、池袋を歩いているときにも別のみみかき店があった。これだ→http://www.yamamotomimikaki.com/
とてもコンセプトが面白いので引用します。『耳掻き。それは、人間にとって必ずしも必要な行為ではありません。しかし、その行為は言葉で表現しきれない程の快楽であるものもまた事実。』『1・自分好みの「かき方」を提供する。2・人の手による温かみと癒しを提供する。』


そういう持っていき方、理解しやすいです。必要というのは、意味がある、ということである。不必要な行為、というのは意味がないということであって、内容よりも形式が重んじられるということである。コミュニケーションの内容よりもコミュニケーションそのものへの志向。「※当店は風俗店ではございません。」という但し書き。身体性から精神性へ。
耳掻きにまつわるイメージ。たたみ。ゆかた姿の女性スタッフ(「小町」と呼ばれる)。そして膝枕。しかしまあ、そんなイメージ僕は持ったことないぞ。ないのに、リアリティがあるのはなぜなんだ。経験したことのない過去を懐かしむという不思議。これは℃-uteを見るときにも感じていることだが。
「小町」のブログが開設されているが、これは常套手段になりつつあるな。シフトも分かるし、常連客と「小町」とのコミュニケーションの場になる。結局コミュニケーションがサービス内容なのだ。
「癒し」なる語と「萌え」の関係はどのようなものか。どちらも、直接的な身体性・性欲からは距離を置いているような気がするが。性欲に基づく行動は「あえて」する選択ではない。「みみかき」は、意味のない、「あえて」する行為である。「あえて」するコミュニケーションは、人間を固有名詞として浮かび上がらせてくれるということなのだろうか。恋愛のような1対1関係の形成。自分の居場所があるという感覚。そういう精神活動。
どちらかというと、「癒し」は受動的、「萌え」は能動的、ですかね。誰か言ってそうなことですが。さらに検討すべし。