ヲタ視線

…卒論で使った概念を見直さなければならないと考え出した今日この頃。
年末までにはなんとかまとめていきたいものだ。


上の拙い図で言うと、僕は卒論ではマジヲタというものの概念を①の矢印で表される存在として捉えていた。つまり、(ヲタ:現実)と(アイドル:現実)をつなぐ視線を持つ者がマジヲタであると。それがどんな存在かと言えば、例えば、「アイドルも頑張っているから自分も仕事頑張ろう」と思うような、自分もアイドルも現実に生きる者として定位付けている存在である。
ところが卒論では、マジヲタのモデルとして視線③と捉えてもいいようなキッズヲタ(もちろん①と③の差異は微妙である)をモデルにしたために、議論の整理がつきづらくなったきらいがある。視線③は典型的には自分の辻への推し方だろうと思う。アイドルが人格的な存在であるとは捉えず、しかしベタに接する。
視線①(ヲタ:現実)―(アイドル:現実)でも、視線③(ヲタ:虚構)―(アイドル:虚構)でも、対象にベタな視線であることは違いがない。この違いを卒論の時には全く考慮に入れてなかった。
したがって、僕は視線③がマジヲタなのかDDなのかよくわからなくなってしまっていたのだ。視線①→③への変化を「DD化」などと言ってしまっていたころもあるが、それは撤回しなければならなそうだ。また逆への矢印をマジヲタ回帰と思っていたが、それもあやしい。
そこで、視線①・視線③がマジヲタ的、視線②・視線④がDD的であると定義し直したい。

それぞれの視線の典型例(もちろん絶対こうというわけではない)
視線①「まじめに応援」:ガッタス、メンバー卒業、リボンの騎士
視線②「ネタを本気で」:当初のレインボーピンク梨華ちゃんってウンコするの?
視線③「虚構を虚構として」:小春・道重・辻推し、コスプレ
視線④「現実をネタに」:「大の大人が事件」、スキャンダルを楽しむ


これらの視線がそれぞれのヲタの立場・スタンス、場面、状況によって刻々入れ替わっていく。それがヲタ活動であると、大げさですがそんな言い回しをしてもいいのかなと。
どうだろう。かなり整理しやすくなったように思う。
ここから何か見えてくるかなあ。
今年の目標として『「マジヲタ」→「DD化」の流れがもう一度→「マジヲタ」に回帰しているように思われるが、これを現場で体感しながら分析していくこと。』と書いたけれど、枠組自体を代えながら、これには答えを出していけるだろうか。
なんか意見がある方、考えるヒントを僕に下さいな。