ワイドショーの見方

ちちんぷいぷい」っていう、関西のワイドショー的な番組にハロプロが出演。ののたんも出るので見てみる。
こういう番組の出演者のアイドルに対する接し方とか娘。評ってほんと決まりきってるんだよな。それはベタに見ると全く面白くないんだが、出演者のアイドルへの気の使いようを想像するか、なんで辻と藤本と紺野の取り合わせで辻が前に座ってんのかと考えることで少しは時間つぶしになる。
ともかくアイドルべた褒めの決り文句がまた出たまた出たと思いながらアイドルの表層を楽しんで見るしかない。

ただ、「モー娘。はもう何人だか分からない」という娘。に対する一般評はやはり聞き逃すわけにはいかない。「モーニング娘。が何人か分からない」という問題に関しては時代とともに様々な語られ方がされてきた。2001年途中までは、娘。のメンバーが計何人か言えること、もっと言えば、メンバーの名を言えることが時代の波に乗っていることの指標になりえた。それが2002年あたりからは何人かわからないことが普通になり、今となってはメンバーの名を全員言える者はたぶん一般的にはオタクと定義される。
だからこの番組で、ある出演者が「何人だか分からないよ」という時に、それが当たり前の響きを持ったことが少しだけ、ほんの少しだけ寂しかった。さらに言うなら、自分も、娘。が何人なんだかすぐには出てこなかったことにまいった。

それにしても、このワイドショーというものって、人間のきたなさがつまっているなあと感じてしまう。「やさしさという暴力」とでもいいたいようないやな包容力。つまり全てを許すようでいて、結局一つの答えに導いていくような、学校の道徳の時間だ。笑いがいやなんだ。その収束の仕方が大人のきたなさたっぷり。
その中にいると安心しきれるんだろうけどなあ。ヲタの空間とは別の意味で温かいんだ。生温かいな。そこに安息してしまう主婦ってやっぱり、どうなのよ。


さて、娘。新曲ですが、元気いっぱいであることを安易に娘。らしさというのであれば、娘。らしいなあ。僕が気にする「違和感」「ひっかかり」ってのはあんまりないんだ。ただ、「二人きりの恋愛を歌わない」という娘。らしさは保っているかな。