感慨がない

ところで、2ちゃんや他のサイトを見てて思ったのだが、私は紺野と小川の卒業に関して、大した感慨がないらしい。
そもそもヲタのはじめが、2001年初頭、中澤含む10人時代だったせいで、5期をなかなか認めることができなかったという歴史がある。「黄金の9人」とか言われるけど、ピースの頃は本当に好きだった。2001の娘。夏紺なんか最高だった(ようやくその感覚を先日取り戻したわけだが)。5期の存在をやっと認めようと思ったのが、02年春紺の「好きな先輩」を見てからなんだから、自分の中ではだいぶごねてた。これ以降も6期の道重を認めんのに時間がかかるとか、娘。の増員に関しては自分は否定的な印象しかないのだ。逆に言えば「娘。」というグループにかなり権威(代替不可能性)を認めていたということでもある。
とは言っても、5年近く見続けているわけで、思うところがないではない。ただ、紺野の大学進学は納得の行く話だし、小川の「海外留学」はうさんくさいけれども、卒業すること自体がネガティブに捉えられるべきことではない。勘違いしてはならないのだが、娘。はもともと終着点ではなくて、あくまで通過点としてのグループとして立ち上がったのだ。
しかし本音を言うと、矢口が抜けた時点で、半分以上「娘。どうでもよし」の気持ちが出てきてしまったことも否めない。だから、その後の1年を「青空の10人」とか言われても、正直よく分からないのだ。何しろ結局去年娘。紺には行かなかったので。
私が今回娘。への愛情が戻ったのは、ぶっちゃければ「レインボー7」の出来がよかったからだ。それがなければ、多分ライブには行ってない。だから2001年と同じように、楽曲への愛着→娘。への愛情という流れがある。なので、紺野卒業ということが自分に影響を与えた春紺ではなかった。ピンクの布の祭も、気持ちのこもった参加ではなかったし。
というわけで、残念ながら紺野・小川の卒業に、あまり感情が揺れ動かない自分だった。矢口の時に揺れ動きすぎて、免疫がついちゃったのかなぁ。


娘。からひさびさ、芸能界を卒業するメンバーが出るわけだが、石村舞波の時と同じように、真剣に応援していたヲタにとってはどう受け止めていくか、難しい問題になるだろう。でも、そこが軽く受け流せるようになってしまったら、アイドルは死滅するのだ。だから、そういうマジヲタはいっぱいいたほうがいい。アイドルを滅ぼさないために。