なぞなぞ

山手線には動画の広告が流れるようになっているが、
最近そこでサッポロがDraft Oneと連動した、
「Quiz One」なるなぞなぞコーナーを放映しているのだが、
これが大変どうしようもない出来なのだ。
あんまり一つの企業だとか一つの企画だとかをこき下ろすのは普段気が引ける方だが、広告を流す責任のある立場がこんなひどいことをしているのが腹立たしくもあるので、あえて名指しで批判してみる。
どうしようもないにもほどがあるのでネタばらししてみるが、
例えば今日見たクイズはこんな感じだったと思う。

信号機の色ではないものはどれ?
レッド
イエロー
オレンジ
ブラック


…で、答えがオレンジなんですわ。
その言い訳としての説明が、
…ブラックは、信号が点いてないときの色だから、だそうなんです。
なんだかもう、はぁ?としか言いようがない。
この答えとともに、「あー、スッキリ」みたいなテロップが出るんだが、
もうその画面を破壊してやりたい気分だ。
これ、見た人全員をわだかまりストレス地獄に落とし込む感じだ。


さて、本題はこれからだ。
なぜこれがなぞなぞとして不成立のように思えるのか。
当たり前だが、点いてない信号を黒色であるということの無理さ、なんだな。
だったら、光が反射して白に見えるとか、赤信号に光が当たってオレンジに見えるとか、どのような言い方も出来るじゃないか、という問題なのだ。
(4、5年程前か、BOSSのCMで黒信号で車がバックしていくというのがあったが、まさかそれを踏まえてのクイズじゃないよなー…)


ここで取り上げたいのは、なぞなぞというものの「前提条件」だ。
昔子供の頃に、「とってもとっても減らないものなーんだ?」ってのがあって、答えは「すもう」だったような気がするが、これだって、答えは無数にある。
で、これがクイズとして成立するとするならば、まずは「とる」という動詞が、「手にとって自分のものとする・採集する」というような意味で解釈されたのち、そうでない用法としての「とる」に思いを至らせ、あーそっか、とならなくてはいけない。
つまりは、なぞなぞ、といわれるものが成立するには、それが成立するための前提となるコンセンサスがなければいけないということだ。
このなぞなぞでは、以下のようなコンセンサスだ。
『「とる」という言葉は通常「手にとって自分のものとする・採集する」
という意味で解釈される、そしてそれ以外の用法もある。』
であるならば、信号の問題では、コンセンサスとして要求されているのは、点いてない信号を見て、誰もが、「黒い」と認識したことがある(あるいは認識しうる)、ということだ。
これには、無理がある。よって、自分の近くにいた女性客は、「くだらない」といって電車を降りた。正確には、「適切でない」というべきかも知れないが。
なぞなぞで要求されているのは、こうしたコンセンサス――問題を読んだだけでは思いを至らすことが出来ない裏の共通認識――が、答えによって露わにされることによる、あーそっか、なのだ。
それが意外であり、かつ共感できるものであってはじめてなぞなぞは成立する、といえる。


ところで、実はこうした裏のコンセンサスというものは、コミュニケーション一般にかかわることである、ということは言うまでもない、んだが一応言及してみる。
発話行為は、その場面につながるまでの様々な文脈を踏まえてなされる。そうした状況全てを理解していなければ、コミュニケーションに齟齬をきたすことは往々にしてあるわけだ。
発話された内容――言語記号――のみから意味を取り出し、解釈をしようとして失敗する人間が、空気を読めない人間と言われたりする。
そう、僕らは字が読めるだけじゃダメなのだ。空気も読めなきゃいけない。
それが実用的な国語能力なのだ。