GyaO

2002年後藤卒紺を見る。
タンポポ祭のシーンだけ見る。
何か現在とは切り離された過去を見る眼差しだ。
そこにいる観客を今自分は「われわれ」と言えるのだろうか。


なぜ今自分がそうであるのか?
という問いから逃げないように仕事をするのはなかなか困難なことだ。
その問いと真正面から向き合わなければいけないのか、それも実は自明ではないのかもしれないが、とはいえなんらかの形で自分は何のために生きているのか、という問いとは折り合いをつけて生きなきゃならない。
うーん、現場も行きたいよなあ。ほんとかなあ。
8月までは絶対に行けない。
しかしながら…今自分のアイデンティティは何かと言われたら、仕事のほうになっちゃうよな。


うーん、この不安定な文章がいかにも今の自分の気持ちであるなあ。