うたばんという番組

えー、ところで、矢口と責任という話ですね。
矢口は、責任を感じてやめたのかという話ですね。
うーん、やっぱ違うな。責任を感じてやめたんじゃないな。
アイドルとか、リーダーとして、とか、空虚な言葉の数々です。
もし矢口がこれを本気で言ってるんだとしたら、矢口はバカってことです。失望します。
でもそうじゃないとほとんど確信しました。
うたばんのスタッフもMCもよく分かって作られていると感じました。
矢口の表情の複雑さが、いろんなことを意味していると思いました。


矢口の卒業メッセージすら、ネタにされてしまう「うたばん」という番組。
そして、それに応じる矢口。
これには二つ大きなポイントがあると思うんだな。
ひとつは、今書いたように、公に発表された矢口の卒業の理由が建前であるということを示したこと。
そしてもうひとつは、初期モーニング娘。とうたばんが、その性質上とても親和性があったわけだが、矢口の卒業によってうたばんと娘。の蜜月関係に終止符が打たれたということだ。
モーニング娘。とうたばんは当初プロレス的なあり方をしていたはずだ。
卒論にも書いたが、メンバー同士の確執や競争が初期モーニング娘。においては「物語消費」を呼び起こし、人気を生むこととなった。それが4期、そして5、6期によって完全に『キャラ萌え』(データベース消費)へと移行する。正直、うたばんでは保田卒業以降、そうした娘。の性質の変化についていけなかった。
結局うたばんでいじられるのは年長組。5、6期はいまいちいじりきれない。最近のうたばんではクイズ形式にしたりして、メンバー同士の関係性がどうであるかなどは全く言及されないし、個々のメンバーがどのような魅力があるかすら捉えられなかったのではないか。
一応言っておくが、ここでは5、6期が悪いと言っているのではない。
5、6期のあり方が、明らかにうたばんとは相容れなくなってしまったということだ。
正直、これからどうするんだろう、とファンも娘。もMCの二人もスタッフも困り果てているだろう。


そんな中でうたばんと共に歩んできた矢口は最後まで初期娘。イズムを全うした、と今日思った。
自分の卒業すらもネタにされることを彼女は許容したのだ。
それでいいのだ。それこそが初期のモーニング娘。のあり方だった。
もちろん、初期モーニング娘。こそが「モーニング娘。」であるなどという不毛なことを言う気はない。
ただ、矢口は娘。としての最後を、自分なりのモーニング娘。として全うしたのではないかと思ったんだ。それに対して、なんか僕は「立派」という言葉を使いたいんだ。そして「いさぎよい」という言葉も、初めて使ってもいいと思った。


ともかく、今日のうたばんを見て、僕はあらためて矢口を好きになった。
これでこそ矢口でしょ。
うたばんだから、ただでは終わらないと思ってたけど、もし、ただ出てきて謝罪するだけだったら、僕は嫌な気分になったはずだ。やはり、うたばんはよく分かっていた。
矢口もよく頑張った。…永遠に片想いしてあげよう。