Parfait、あるいはアイドルを観ることについて

パフェの仕事でアイドルグループ「Parfait」とご縁があって、Parfait(以下パルフェ)が劇的な形でTIF出演を決めたので、今回のお目当てはパルフェ。でなければ、今回は無料のスマイルガーデンにずっといたかもしれない。
ドールファクトリー、ドリームステージ、グリーティングエリアの無料握手会と、パルフェ現場を3つまわして、思ったところを。(といっても具体的なことを全く書かない。)


2001年からアイドル現場を見てきて、いまだに、何でライブを見ることが、アイドルの躍動を見ることが快の感情を呼び起こすのか、よく分からないでいる。もっと言えば、なぜアイドルを好きであるのかということについて、よく分からないままで、もう15年以上もアイドルを見てきている。
たとえばいま自分は、パルフェというグループの何がいいかということについて、それなりに理由を説明することができる。けれども、その理由が他のグループに当てはまらないということはなくて、どの理由もどこかのグループに当てはまるのであって、パルフェが何かの点(ルックス、歌唱力、ダンス、etc…)で唯一性を持っているとは言い難い。
あるいはアイドルを「総合的」に評価することができるか、について考えてみる。しかし、スポーツ選手のドラフトのように、勝敗が重要な問題となる競技の世界において用いられるような客観的な指標に基づいて、ぼくらはアイドルを序列づけるわけでは決してない。
思えば、アイドルをいいと思うとか、好きと思うということについて、我々は根拠をもって行うということは普通なくて、根拠は後からついてくる、という感じがする。しかし、それも何だかあやしい根拠だったりして、結局なんとなく好きだ、としか言いようがなかったりする。好きな理由はともかく、好きなんだからしょうがない、というような感じになる。


ところで、アイドルを好きな理由を挙げると、それはアイドルを褒めているというよりは貶しているような内容だったりすることがある。要は、アイドルの未熟な側面を好きになるケースで、それは応援したい気持ちの元になったりもする。
ぼくがパルフェを好きだと思う理由を無理に言語化してみるならば、それは「商品化されていない感じがする」という何ともあやしげな理由である。言い方を変えれば、洗練されていない感じ、みたいなことでもある。うーん、褒めていない感じがする。


パルフェはコンセプトとか設定とかが完璧に作り込まれている感じがしない。「パルフェ」なのに全然完璧じゃない。(その点で言うとスイーツのパフェも完璧なものなどほとんどないのだけど…)
でも、西山姉をはじめ、メンバー全員の気合を感じるステージで、また楽しそうで、見ていてとても快い気分になる。


…と言いながら、ぼくは基本的にアイドルの気持ちをどうこう言うことに強い抵抗のある人間である。たとえばアイドルのインタビュー記事を読んでアイドルの本音を知ることができるとか、ステージを見てアイドルの性格を読み取れるとかいうことを信じていない。
逆に言えば、見えるものが全てでいいと思っていて、たとえばアイドルが笑顔である時に、内心本当は何を考えているか、などということに興味はない。


にもかかわらず、「気合を感じる」とか「楽しそう」とか言ってしまっているのはどういうことか。結局、自分も読み取ろうとしているじゃん、ということを思う。
ライブや舞台といった表現活動は、計算・計画されたものをはみ出るものこそが見ものだったりする。僕らは歌うアイドルの曲を聞きたいというのももちろんあるが、歌い踊るアイドルのその振る舞いから内面を自然と推し量ってしまうのだ。


あと、あれですね、パルフェの現場は、ファンの雰囲気が閉鎖的でなくていいですね、と思います。
アイドルのファンの規模が、100人、1000人、10000人となるにつれて、ファン文化も変わっていかざるを得ない。逆の言い方をすると、そういった文化の広がり(=ファン層の広がり)を許容できるような現場であったり、アイドルの表現でなければ、規模を大きくできないということでもあり。いわゆる内輪感が出過ぎると、そこで停滞することになりますが、そういう嫌な感じがないですね。
あんまり、アイドルがどうやったら売れるか、みたいなことを書いていくのは好きではないので、心の中でいろいろ考えながらパルフェを応援したいと思います。
(ひとつだけメンバーにお願い。Parfaitを名乗るなら、もっとパフェを食べたらいいのでは…?と都合のいいことを言っておきます。)