アイドルファン文化の成熟へ

8月18日、サンリオピューロランドにて行われた「ご当地キティ15周年アニバーサリー・スペシャルライブ in サンリオピューロランド supported by @JAM」の朝公演を見てきた。会場とアイドルヲタのギャップの面白さについつい目が行ってしまうが、純粋にアイドルイベントとして非常に面白いものだった。と同時に、ひさびさにこうしたアイドルグループの共演の現場に足を運んだため、改めてアイドルファン文化についても考えさせられる現場ともなった。
出演は、とちおとめ25、Mary Angelまなみのりさ、Dorothy Little Happy、しず風&絆、Jewel Kiss、ひめキュン、Negicco(出演順はうろ覚え)。


とちおとめは場数を踏んで、なんだか貫禄すら出てきた感があるが、勢いという点でトップバッターにふさわしい。一気に場を盛り上げるのに適したグループ。いちごパフェやっておきゃ盛り上がるんだろ、という安易な発想は、しかし圧倒的に正しい。
Mary Angelは、2年前のU.M.Uアワードでの活躍が記憶に残っているが、よく動き、よく煽り、盛り上げるのがうまい。観客を左右に移動させての「Like an Angel」は楽しいね。
まなみのりさ、あんまり覚えてない、すみません。Negiccoとともに、とても品のあるグループ。
ドロシー、「デモサヨナラ」でずっと美杜さんを見ていました。アイドルのダンスにもいろいろあるけど、この曲のダンスはメリハリがはっきりしていて、ダンスだけでも魅せる曲。そいでもって歌詞も曲もいいんだから泣きたくなるよ。静と動がはっきりしていて、そして表情を作るところはしっかり決める。まるで体がなにか空間上にしつらえられたレールの上をすべるごとく、そうとしか動けない、というように動く。それはあたかも機械仕掛けの人形のようである。ところが、それに不自由感が伴うかというと、そうではないのだ。そこまで機械かのように動く、という本来的な不自由さを乗り越える。ダンスが下手な人なら、こう動かなければならないという形で振りつけに振り回されてしまう。しばしばまだ未熟なアイドルのダンスに、そうした「ついていくのに必死感」を感じることがある。その場合大抵その心理は表情として表れてしまう。ドロシーはそうではなく、振り付けを自分のものとして、むしろ自由に舞う。型にはまるかはまらないかと、自由・不自由を同じものと見なしてはいけない。ともかく美杜さんの表情を見よ。あえて全くの無表情と豊かな表情を、曲のそれぞれの場面において、見事に演じ分けているではないか!
ドロシーのラストの曲で「nerve」をやることに戸惑いはある。それはそれで盛り上がるのだけど、それをドロシーがやる必要があるのかな。とは言っても、キレキレのダンスの後で、緩い曲をやるギャップの面白さというのはあって、場は大いに盛り上がった。
しず風&絆、まず、メンバーの自己紹介が新鮮。ひとまずメンバーが名前を言った後、そのメンバーのトップヲタらしき人がメンバーの自己紹介を叫ぶ。というかそれはもう自己紹介じゃないんだけど、自己紹介がメンバーとファンの共同作業になっている。でもって、そのファンの叫びに対して、基本的にメンバーは毒舌を吐く(声ちいせえんだよ、とか)、というところまでまとめて一つの芸のようになっている。毒舌を吐くことで、叫んでいるヲタとメンバーの内輪感はゆるく開放されて、決してファンコミュニティ外から見ても嫌な感じはしない。インドからお越しの、と紹介されていたファンがいたのだけど、本当だろうか。
ライブ中、ステージ前方に台が置かれて、そこに乗りながら観客を煽るしず風。まるでプロレスのリングのコーナーに上って、観客を煽るレスラーのようだった。
Jewel Kiss、まさかこんなに出番が後ろだとは思わなかった。開場前方の柵が弱そうで、ヲタの圧力に耐えられるんだろうか、と心配しながら出番を待つ。この日でもかちゃん(松原萌香)がグループを抜けるということもあり、どうしてもこのイベントは見たかったのだ。もかちゃんは可愛かった、可愛いままアイドルをやめていってしまった。それはそれで幸せであろうと思う。
さて、自分の中での注目点は、「ミラクル初デート」をやるのかどうか、ということだったのだが、予想通り、やった。ところで、会場となったエンターテイメントホールの後方には、柱が立っていた。そういうことである。どういうことかというと、ヲタ(ズエリスト)たちはサビの部分で後方の柱まで集団移動して、さんざん柱の周りを回った後で、ダッシュで帰ってくるという一連のヲタ芸(これ名前なんかついてんの?)を披露する。ここにおいてヲタはもはや演者の立場になる。実際にやってみると楽しい。すごく楽しい。

参考:ミラクル初デートのサビで走りまくるヲタたち


ひめキュン、ハリウッド映画の予告編でかっこよく呼ばれる映画のタイトルみたいに、「ヒメキュン…フルートゥカン」ってコールされて入ってくると、もはやこのグループ、かつて愛媛で見た「ひめキュンフルーツ缶」じゃねえ、と思ってしまう。そのグループ名が想起させるイメージと、いまの彼女たちが表現していることのギャップがすごい。あえて一人一人の自己紹介はしなかったと記憶しているが、自己紹介をしないことが他のアイドルグループとの差別化になりうる、というのも奇妙な話である。それだけグループアイドルにおける自己紹介というのが、当たり前になっている現状がある。
ラスト、Negicco。当日にツイートもしたけど、それまで2時間アイドルのライブを聴いてきて、ラストのNegiccoで「アイドルばかり聴かないで」で落としといてからの、「圧倒的なスタイル」でみんなでラインダンスしてちゃんちゃん、的な流れは鉄板で正しい。今回初めて自分もラインダンスに混ざったんだけど、これも会場の一体感がなければ成立しないことで(特に自分はこういうのに距離を置きたがる人間なのだ…)、とてもいい雰囲気でライブは終わった。
最後に出演者全員が出てきて、グループごとに感想を述べ、記念撮影をして終了。その後物販やら握手などあったようですが、自分は中野のハロプロのライブに向かわねばならなかったので、早々と退散しました。


さて、もう少し抽象的な感想を。
一つは、アイドルダンスの多様性と魅力について再確認した。これはまた後に論じられればと思う。
もう一つは、アイドルファン文化について。これは詳しく以下に。
TIFでも感じたが、多くのグループが出演するイベントの楽しみ方、楽しませ方が成熟していると感じる。
すでに当たり前になっているのかもしれないが、それぞれのグループ出演時には、それぞれのアイドルのファンに前方スペースを譲る、というのが慣例となっている。自分はJewel KissのTシャツを着ており、ジュエル出演時に前方へ進んでいったら、ありがたいことに最前にいた人が向こうから声をかけて最前スペースを譲ってくれた。それは親切というよりも、ずいぶんと自然な振舞いで、するっと自分も最前に行けたのだった(ヲタTは誰のファンであるかを一瞬で識別できる、非常に有用なツールであると改めて感じた)。
ところで、ジュエルヲタは荒っぽい応援をする。身内びいきが入るかもしれないが、それは単に野蛮ということではなく、むしろその時々に決められた行動規範に従っている。たとえば「ミラクル初デート」では後ろの柱まで走って戻ってくるのが「正しい」。それは外部から見れば迷惑に思うファンも多かろうと思うので、手放しに礼賛するわけにはいかない。ともあれ、ジュエルの出番が終わったら、ジュエルのファンは後方に下がっていく。「ありがとうございましたー!」と言いながら。
ところで、しず風&絆のヲタによるアイドルの紹介であったり、上記の集団的ヲタ芸であったり、Negiccoのラインダンスだったりといった応援文化を見るにつけ、またそれぞれのアイドルの出番に、それぞれのファンが前方へと繰り出すのを見るにつけ、アイドルの出番は、同時にファンの出番であって、そこではアイドルとファンが共同作業としてパフォーマンスを行っている、ということがやはり明らかである。だからファンはアイドルを見ると同時に、自分たちをアイドルに対して、また周囲に対して見せてもいる。そのパフォーマンスが無事終われば、アイドルさながらに、「ありがとうございましたー」と言ってはけていく、というわけだ。そのお礼は単に、前方スペースを譲ってくれたことに対するお礼というよりも、パフォーマーとしての観客に対するそれも含んでいるように思われた。
しかし一方で、ここにおいて、それぞれのアイドルファンがそれぞれのアイドルを応援をするのみの、断絶した現場である訳ではない。熱狂したい者は前へ、そうでないものは後ろへ、アイドルへの思いの強さがグラデーションとなって、会場全体がゆるやかにつながっている。そこで重要と思われることは、熱狂する前方の文化が閉鎖性を帯びないこと、これである。どのアイドルグループの時だったか、曲中のコールをスケッチブックに書いて、それぞれのタイミングで後ろの聴衆にも見えるように掲げるファンがいた。TIFでも見かけた光景である。コール文化は、知らない者が初見で参入するのが難しい文化である。教えてもらわなければ、なかなかすぐにマネできるものではない(かくいう自分も、いまだにMIXのアイヌ語バージョンを覚えられていない)。それを可視化することで、会場の前方と後方をつないでいく。また、イベント最後、全てのグループが登場して感想を述べていくタイミングでは、前方の観客が自然と座り始め、後方のファンまでステージが見えるように、観客全員が自然にふるまった。何というか、最後まで非常に心地のいいイベントだったのだ。


あるアイドルAのファンが、Aという文化に閉じない、BのファンがBの文化に閉じず、「アイドル」の文化を醸成していくこと。「DD(誰でも大好き)」的なアイドルの楽しみ方が広まることで、「アイドルファン文化」というものが成り立ってきている。それがいい形で、このイベントで見えてきた気がした。