Sexy Zoneのライブに行ってきた

もう2週間も経ってしまったが、1/6に横浜アリーナで行われたSexy Zoneのライブに一人で行ってきました。男一人で行くというのは敷居が高いものではありましたが、男性率が0ということでもなく、またライブが始まってからはそうしたことも気にせず、ただライブを楽しむことができました。以下、主に女性アイドルグループの現場に慣れ親しんだ者の視点から、Sexy Zoneのライブの感想を述べていきたいと思います。(知識不足による失礼な表現がありましたらご容赦ください。)


アイドルを10年間考察してきた身として、やはりジャニーズの存在は偉大なものです。昨年ジャニ研のイベント(関連書籍が発売中http://www.amazon.co.jp/dp/4562048816)に参加した際にライブ映像の一部を見て、これは一度生で見ておかなくてはと思いながらなかなか実現せずにいました。今回、運よく安価で立ち見のチケットを手に入れることができ、横浜アリーナでのSexy Zone初体験となりました。正直Sexy Zoneの曲はいくつかを聞いてみた程度で、ほぼ知識ゼロの状態で現場に臨みました。
横浜アリーナに着くと、当然ながら女性ばかり。ここでまずは、アイドルファンの外見について思いをはせることになります。ジャニーズのファンは大方きれいに身なりを整えていらして、ああ、きれいにしているなあ、とか、アイドルでもいけそうな人も多いなあと素直に感心していました。という感想を抱くのも、男性のアイドルファンは、しばしば美しくない姿でいることが多いからです。最近はオシャレな現場も増えていますが、ハロプロをはじめとしたアイドル現場でしばしば見られるヲタTは、全く格好良くないデザインであっても、いやむしろ、そのダサさをこそ積極的に肯定してヲタは素直に着用するように見えます。ただしアイドルの認知を強く求めたいタイプのファンは、外見にしっかり気を使うかもしれませんが。(ここらへんの問題への考察として過去にいろいろ書きました→参考:なぜヲタはヲタTを着るのかhttp://d.hatena.ne.jp/onoya/20090518/1242673758
別に容姿が優れていなくても(失礼)、女性は着飾れる強みがあると思います。アイドルも、ジャニファンも着飾れる中で、成人男性アイドルファンだけが疎外されている気分にならないでもない。(ただ一方で、女性は着飾らなくてはいけない、化粧をしなくてはならないという社会的な圧力もあるのだろうけど。)
さて、会場内に入り、立ち見のスペースへと向かいますが、そこに着いてみて、立ち見に男一人で行く難しさを感じました。女性が横並びになっているところに、後ろから成人男性が一人だけつくというのは、とてもいづらい。ただでさえ男性一人では歩きづらい空間の中で、立ち見で女性客と少しでも接触してしまうリスクを背負うのは大変心理的負担を強いられるものです。運よくカップルで来ている男女がいたので、その男性の後ろにちょこんと遠慮がちに位置取ることで、なんとか落ち着いて開演を待つことができました。
ライブが始まると、公式グッズであるバラのペンライトで、会場は赤く染まります。ハロプロの文化では会場を一色で統一するのは「祭り」と言われ、メンバーの誕生日や卒業などのメモリアルな公演で行われていますが、Sexy Zoneのライブはいつも赤一色なのでしょうか。やはり1万人規模の会場で色が統一されるととても美しい。10年以上前、この現場で「タンポポ祭り」が起こったことを思い出します。
色とともに、いつもとのギャップで感じたのは、歓声の美しさです。いつもより高い、いわゆる黄色い歓声。で、だんだん慣れてくると、ライブの演出に歓声のタイミングがうまく統制されているように思われてきて、歓声自体もライブの一部として美しいと感じました。たとえば宝塚では拍手を入れるタイミングが明確に決まっていますが、それと同様のものを感じました。じゃあその歓声が単に儀礼的なものかと言えばそうじゃないんだろうと思います。素直に感情の表出としても歓声が出るのだけど、一方でライブ中に観客が歓声を上げるタイミングは統一されてもくる。そういうものなのだろうと思いました。
会場の色(視覚的効果)と歓声(聴覚)によって、ものすごい高揚感がやってくる。宝塚でもそうなんだけど、何か好きな対象がいるかいないかとは別次元のところで、その空間が否応なく夢心地の世界へ連れて行ってくれるのです。ファン層が若いというイメージを持っていたので、もっと勝手に叫んでしまうファンが多くいるのかと思っていましたが、非常に統制がとられていて、ほとんどそうしたファンはいませんでした。また、座るタイミングではみんなすっと座るというのも徹底されていました。
前もって聞いてはいましたが、曲へのノリ方は割と一定で、女性アイドルのファン文化に比べれば体の動きやコールなどはほとんどありません(PPPHをしていたファンが少数)。実際うちわやら双眼鏡やらペンライトを持っていたら、動きが制限されてしまうということも大きいかもしれません。うちわも、なんかいっぱい持っている人もいるし。「スキすぎて」なんかは完全に女性アイドルのファン文化のノリでいってしまいたい曲で、
スキすぎて スキで スキなだけ(ふっふー!!)
気持ち伝える Love Love Love(ふゎふゎふゎふゎ!)

って叫びたい、みんな叫ばないのかっ!叫ばないのかっ!?騒がないのかっ!?
いやもう。体がうずくよね。こういうところ、文化ってものは身体に刻み込まれているものだと強く感じた次第です。
セクゾンのライブ内容ですが、女性アイドルの現場(しかもハロ中心)を見てきた者からすれば、舞台セットの豪華さだけでもなんだか楽しめちゃうというところはあります。アイドルが高いところにいる、というだけで新鮮だったりもします。舞台装置が大掛かりで、何と言っていいのか分からないが、横浜アリーナの前から後ろの方まで、何か高いセット(ゴンドラって言うの?)が動いていって、その上に上がったメンバーが歌う。あるいは、なんかもう、もっと高いところに上がっていって、歌う。なんでこんなに表現力がないかというと、女性アイドルであんまりそういう演出を見たことがないから、それに関する語彙が、表現が思い当たらない。女性アイドルの場合、アイドルがスカートはいてると、あんまりそれを下からファンが見る図ってのもやりづらいところがあるだろう。
ところで、ここで考えるのが、アイドルの表現と会場のキャパの関係性についてです。アイドルの人気とは関係ないところで、アイドルの表現がその会場の大きさを規定していく側面があるのではないか、と最近考えています。ジャニーズは大掛かりな装置を使って、ある時はワイヤーで吊られたりしながら、会場を大きく使って立体的にアイドルを表現するため、そもそもそうしたことの可能な大きな箱でなければ表現が成立しない。ハロプロの場合、特に最近は生歌とダンスということがどうも売りになっている節がある(別にもともとはそうでもなかったのだが)ために、正直言って大きな箱に表現が向いてないのではないかと思ってしまいます(これはもちろん演出の仕方でいかようにもなるでしょうが)。それと比較すれば、AKBやももクロの方が、大きな箱での演出はしやすいように個人的には思える。特に女性としては身体能力が高いとされるももクロが、国立競技場のコンサートを目標とするのは似合わしいと思えます。(一応の確認ですが、ここで箱の大きさによって優劣を論じる気はもちろん一切ありません。)
そんなことはさておき、強い印象として、「マリウスかわいい」「けんとっとやっぱすげー」ということは言っておかなければならないでしょう。初見でも、ライブのMCを通して5人のキャラクターを大方読み取ることができます。健人が「この衣装ポケットがない」と言った後にポッケを探していたマリウスかわいい。
けんとっとはいちいちあざといまでにファンを煽る発言をするのだけど、あのイケメンがそうしたアイドルとしての模範的振る舞いをやり切ってしまうところについていきたくなります。素直に受け取っても、ネタとして受け取ることもどっちもいける。そういう意味でけんとっとの射程は広い。グッズのうちわが涼しいという話のところで、けんとっとの「俺らが吐息をかけてるんだよ…」という発言で「キャー!!」になるんだけど、自分も心中「うぉっほーい」と思うんだけど、甲高い声を出せないのでだまってました。何バカなこと言ってんだろ、って思えないんだよなあ、けんとっとの場合。(今日1/20のSexy Zone握手会でも、また新たな伝説が生まれていっているようですね。本気で握手会にも行ってみたくなりました。参考:【セクゾ握手会】Sexy Zone 中島健人の握手会釣りレポがヤバいw AKB48より酷いぞこれwwwwwwwwwhttp://akb48newstimes.doorblog.jp/archives/22476437.html
マリウスは言葉足らず、舌足らずなところがあって、「シュシュ」を「シュッシュ」と言ってしまったり、そのくせ「下っ端」という語彙はあったりで、MCではその拙さをいじられることが大きな魅力となっていました。
あと、セクゾンライブ中に、BL的想像力を喚起するような場面でひときわ大きな歓声が上がっているのは印象深いです。勝利くんがけんとっとの歯ブラシを間違って使ってしまった話とか。
この辺の問題については以下の文章も参照のこと。辻先生はジャニーズファン研究をずっとされている方ですね。http://www.yhmf.jp/pdf/activity/adstudies/vol_40_01_05.pdf「観察者化」するファン―流動化社会への適応形態として― 辻泉(アド・スタディーズVol.40 Spring 2012(5月25日号))
とは言え、ジャニーズファンが常に観察者的な視点に立っているわけではありません。歓声を上げている瞬間も、あるいは握手会での握手の瞬間も、おそらくファンは熱狂や陶酔の中にいるでしょう。要は、ジャニーズがBL的な視線も、疑似恋愛的な視線も、またその他様々な視線を受け止められる大きい器であるということに他ならないのです(親子席には「Jr.に入れて」という文字の入ったうちわを持った男児がいました。その母親の圧倒的な影響下にあるにせよ、ジャニーズは男児の憧れの存在でもあるのだ)。


それから、その日ジャニファンの方と飲んだけれども、ジャニファンの思考様式の一例を知ることができて有意義でした。ジャニファンはインタビュー記事からアイドルの内面を読み取っていくのが好きな気がするのだけど、それって女性アイドルの方ではあまりやらない気がします。(女性アイドルのファンは、アイドルのブログを読んでいろいろ考えるのでしょうか。)
あと改めて思ったのは、ジャニヲタはアイドルとの付き合いが長いよなーということで、女性アイドルだったらほんとに一年足らずで解散とかざらにあると思うんだけど、ジャニはデビューさえしてしまえば長いお付き合いになることはほぼ保証されているから、そこんとこのファンの時間感覚は違うということを強く感じました。
とりとめもないですが、ジャニーズを見ると、女性アイドルの世界との比較でいろいろなことが見えてきて、考えさせられて面白いことは間違いないです。自分もいつか(というか今年中になんとか)けんとっとに握手会で熱い吐息をかけてもらいたいものです。