枝野官房長官のアイドル化に思う

未曾有の地震が起きました。沢山の方が亡くなり、また被災されて不自由な生活を余儀なくされています。私の知り合いも東北で大変な生活をされていますし、私の実家が茨城であることもあり、原発の動向も含め不安な生活が続いています。
多くの命の救出、一日も早い復興を願って止みません。節電や、募金という形での協力も極力行いたいと考えています。



さて、いろいろ考えた結果、このブログでは変わらずアイドル論を展開していきたいと思います。関東に住んでいる者として、少しでも早く日常感覚を取り戻すため、また不安を払い打ち克つための精神的な余裕も必要ではないかと考えるためです。
とは言え、地震に伴う自粛ムードや交通機関の麻痺等の理由で、アイドル現象はいまほとんどネット上でも、現場においても見ることはできません。少なくとも関東では、ほとんどのイベントは延期・キャンセルを余儀なくされています。アイドルブログも多くがメンバーの無事を伝えるものの、更新を停止しています。アイドルファンの中には、こういう人々が不安である時にこそアイドルの元気な姿を見せてほしい、元気をもらいたい、また現場において復興のための募金等の取り組みにも期待したいと考える向きも多い中で、アイドルが実質活動を一時的に停止していることは残念でもあり、また少なくともファンの精神的な健全さを考える上で懸念されることではあります。
そんな中で、(不謹慎という声もありそうですが)ここ数日の枝野官房長官のアイドルっぷりには注目せざるをえません。枝野官房長官は数時間おきに会見を開き、その語り口や、見たところほとんど睡眠時間をとらずに奮闘していること、次第にやつれている様子から、ネット上で「枝野寝ろ」という祭が起きました(参考1)。また「EDN48」とAKBをパロディ化した想像力が働いたり、ジャニヲタクラスタからや枝野官房長官を応援する妄想力が働いたり(参考2)と、いまの「アイドル不在」を補完するかのような動きが出ています。


参考1:【会見】枝野寝ろ http://logsoku.com/thread/hatsukari.2ch.net/news/1300135211/
参考2:会見出の枝野担 http://togetter.com/li/111771


▼枝野官房長官の疲弊を伝える画像


枝野人気がなぜ出たのでしょうか。未曾有の災害、そしてそれに伴う社会不安、恐怖という条件下で、(アイドル不在の中で)分かりやすい英雄として人々の目に映った、ということがあるかもしれません。他の政府・企業の話者が軒並み分かりづらい、聞きづらい会見を行う中で、落ち着いた、堂々とした説明ぶり(しかもいい声で)は、十分聞き手である国民の一部を安心させるものではありました。ここで注意しておかなければならないのは、枝野官房長官(あるいは政府)の判断が本当に正しいかどうかと、この枝野アイドル化というのは関係がないということです(したがって今書いているこの記事全体は、なんらかの政治的な立場を表明したり支持するものではありません)。枝野のアイドル化は、明らかにそのビジュアル的側面に要因があると思われます。メディアでの露出頻度、話し方、声、次第にやつれていく顔、福耳!つまり枝野支持は政治的関心と相関はあるにせよ、それを駆動したのはメディア上での表象そのものだと言えるでしょう。その意味でやはり「枝野寝ろ」現象は、アイドル現象だと言ってよいように思えます。
枝野官房長官が分かりやすい語り口で誠実に対応しているように見える、ということを前提条件として、次第に睡眠不足から疲弊していく(ように見える)中で、Twitter上でのタグは様々に変化していきました。以下はその変化の過程の一例を示したものです(本日20時段階でTwitter上でかなり拡散していたので、簡単に見つけることができると思います)。
#edano_nero→#sleepforjapan_edano→#edano_netekure→#edano_go_to_bed→#listen_to_edanono_neiki →#EDN48→#we_are_the_edano ←今ここ



「#EDN48」というタグでは、以下のようなパロディのツイートも見られました。

#EDN48 シングル一覧 「眠たかった」「定例会見とマスコミ」「質問の順番」「枝野シスターズ」「ヘビーローテーション」「枝野サプライズ」「EDER」「枝野の枕になろう」「105時間枝野」/ 派生ユニット→→枝野友美ソロ「dear E」/ ノースリープス
http://twitter.com/#!/Yaama_Saya/status/47522279957082112



他にも枝野官房長官コラ画像http://twitpic.com/49m6pa)や、彼をジャニーズのメンバーと見なした応援うちわのデザイン(http://p.twipple.jp/EwvA7)がされたりと、枝野人気は既存のアイドルファン文化とも融合しながらネット上の祭となりました。



こうした、政治家がアイドル化する現象に危険性があることももちろん認識しなければなりません。デマゴーグとなる可能性もありますし、国民の思考停止を批判することもできるかもしれません。しかしながら、ネット上で行われているこの祭は、結局のところ政治的判断は留保した上で、一政治家の努力そのものは認めながら、虚構の力で社会不安を乗り切ろうとする知恵であるという点では、一定の評価をするべきではないでしょうか。
祭に参与した集団は、けっして政治的な主義主張によって集まった人々ではなく、この苦難を乗り越えようという普遍的な意志(それが大仰ならとりあえず不安を取り除きたいという気持ち)から枝野を祭り上げたわけです(まあもちろん暇つぶしの娯楽の人も多数いるでしょうが)。その点では、いたずらに社会不安にさいなまれ、ヒステリックな反応をしてしまうよりは、よほどベターな対処ではないかと思えます。
もちろん枝野官房長官が人気を博したのは、彼自身の魅力によることは言うまでもありません(あと名前が板野に似ていたことも幸いしたかも)。人に安心感を与えたり、頑張っている姿で人を励ますということが、アイドル的であるということを改めて感じさせられました。願わくば、ここ数日枝野氏やまいんちゃんくらいしかアイドルがいなかったテレビをはじめとするメディアにおいても、これからアイドルが人々の精神的な支えとなるよう活躍できますように。あるいは、各被災地において頑張る人が、苦しい生活を送る人にとってのアイドル的存在として、少しでも心の支えになりますように。