ヲタ芸再考(3)

3.ヲタ芸の衰退
ヲタ芸ハロプロの現場において見られなくなるのは2005年だったか。僕は2005年10月16日の相模大野の後藤真希のコンサートで、はっきりとヲタ芸が打たれなくなっていることを感じた。今もって、僕はハロプロ現場におけるヲタ芸の衰退の理由をうまくつかめないでいる。ただ、原因となりそうなことがいくつか思い当たる。
①マナー意識
当然のことながらヲタ芸は常にマナーという観点から非難の対象だった。OADもロマンスも隣の人にひじが当たる危険な技だ。隣がヲタ芸師だとたまったものではない。僕も打つときはヤフオク通路席を取るという申し訳程度の配慮はしたが、そもそも、隣の席でなくても目障りだ、おまえの狂喜乱舞を見に来たわけではない、と言われるとどうしようもないのだ。いずれにしても、ライブ会場内でのヲタ芸は相対的に減ってくる。一方、2005年以降でも、ライブ会場ではないところでのヲタ芸は激しく見られる場面がある。
②流行だから
単にヲタ芸という流行があきられたのだ、という側面はあると思われる。大体、ヲタ芸は疲れるのだ。継続的にやっていくほど、万人向けの行動様式ではない。
③ライブのさらなる細分化
前回のエントリにおいて、ライブの細分化がヲタ芸を誘発したと書いた。なぜなら、相対的に応援度の低いライブにヲタが行くようになるためだ。
ところが、2004年以降、さらなるライブの細分化によって、今度は各ライブにおける「DD(=だれでもだいすき)」の割合が次第に低下してきた、ということが考えられる。2004年以降ハロプロでソロライブ(または合同ライブ)をはじめるのは、2004年に安倍なつみダブルユーBerryz工房、2005年に美勇伝後浦なつみ、「ハロ☆プロ パーティ〜!松浦亜弥 キャプテン公演」、2006年に「ハロ☆プロ パーティ〜!後藤真希 キャプテン公演」、カントリー娘。、2007年にGAM、モーニング娘。誕生10年記念隊℃-ute(とは言え℃-uteは2006年から本格的に始動していた)。もしかするともっとあったかもしれない。ともかく、ここまで細分化すると、いくらDDでも追いきれない、ということになる。なにしろ、同じ日に各地でライブが行われるということが全く珍しくなくなったのだ。こうなると、相対的に好きなアイドルの現場に行くということに当然なるわけで、各現場での一推し度が高まる、自然とヲタ芸も収まるということになる。実際、各現場は次第に独自の文化を形成するようになる。それは確かにハロー!プロジェクトの統一的雰囲気を保ちながらも、同時にそれぞれがそれぞれの空気をまとってもいた。例えば安倍なつみのコンサートは、とてもヲタ芸を打って許されるような雰囲気ではない、と僕は2004年10月の松戸のライブで思った。松浦亜弥のライブも、次第に聴かせるライブとなり、ヲタ芸などいまや見る影もない(この間からの春のツアーはどうだろうか)。こうした中で、ヲタ芸ハロプロの中で比較的マイナーなグループのイベント会場で行われるようになる。有名なものが、2006年℃-uteイベントにおけるヲタ芸である(参照⇒http://www.youtube.com/watch?v=KeBN1KMDaOw)。また、モーニング娘。文化祭会場など、比較的スペースのある場所ではヲタ芸がいまだに炸裂する傾向にある(2006年文化祭の様子⇒http://www.youtube.com/watch?v=DCwuTR6vTvY)。限られた場にヲタ芸が押し込まれていく。
④ファンが流れる
これは散々言われていることだけれども、ハロプロの人気が落ちたことによって、ヲタが他のアイドルに移っていったことも原因としてよいだろう。実際、AKB48にはハロプロ界隈から移ったファンも多い(といってもAKBの現場でヲタ芸があるとはあまり聞かない)。その他、秋葉原のマイナーなアイドルなどにただ騒ぎたいだけのアイドルヲタが移っていった、多分。しかし僕は詳しい事情を知らない。いまや、ヲタ芸秋葉原のものかのようになっているのは、ヲタが移ったからなのか、ただ文化が移ったからなのか、いまいちよく分からないのだ。
⑤一般への認知
ハロヲタヲタ芸が一般人に認知され始めるのは、ポップジャムやベストアーティスト2003などの歌観覧の場であったと思う(ベストアーティスト2003 島谷ひとみの「ペルセウス」におけるヲタ芸はこちら⇒http://www.youtube.com/watch?v=Z4Tv0Y9sWms)。ヲタは一般人の前でヲタ芸をすることを好んだ、それはまさに自己証明そのものであったからだ。次第に一般の世界から認知されるようになり、マスメディアでヲタ芸が取り上げられるようになる。2004年4月25日の日テレ深夜「ジェネジャン」、スペースシャワーTV、2004年9月22日放送の「熱血!スペシャ中学」(掟ポルシェヲタ芸を実演)あたりが最初だろうか。
必ずしも全て追えていないが、2006年では「新堂本兄弟」とか「Gの嵐!」で取り上げられ、そして「ケンコバ&小籔のダメわる!」ではBerryz工房の目の前でヲタがヲタ芸をする光景が流され、ヲタからも非難が集まった(そのことについて検討したのがこちら⇒http://d.hatena.ne.jp/onoya/20061003/1159847805)。その後は様々な番組で取り上げられたが、次第に秋葉原のヲタを扱うようになってきた。
こうした番組を見るとき、基本的に我々ヲタは幻滅するのではないかと思う。それはヲタがバカにされているから、というのではなく、むしろそこに出演しているヲタが、マスメディアに自分の姿を認めてもらいたがっているその卑屈さをこそ責めたのではなかったか。逆に言えば、マスメディアはヲタ芸を奇異のものとしながらも、最終的には自分たちに害のないものとして馴致する、という根本的なところでの「上から下目線」をヲタに浴びせ掛ける、その権力関係に我々が辟易とする、ということ。
ヲタ芸がその根本から迷惑行為として生まれていたのだとしても、少なくともその行為者であるヲタにとって意味のある実存的行為としてそれがあった、その内実が完全に見る陰もないかたちで電波として流されたこと。ここにおいて、ヲタ芸はほとんど死を迎えようとしていた。


以上①〜⑤が、僕が考えるヲタ芸衰退の理由である。ハロプロの現場では現在、限られた場・限られた条件でしかヲタ芸が見られないようになった。それは僕個人からすれば少し寂しいけれど、それもまた必然であったように思うし、多くの方が言うようにその方がいいのかもしれない。
そして、ヲタ芸は他のアイドルの現場に移っていく。例えば、榊原ゆいの現場に。
次のエントリで、最後のまとめをしたいと思います。長々読んでいただいている方、ありがとうございます。