Berryz空間×℃-ute時間

舞波物語さん(http://strawberryz.seesaa.net/article/55225993.html)からインスピレーション。


『とりあえず言えるのは「放課後のエッセンス」は「時間」がテーマになっているらしいこと。』
ベリーズが空間なのかはともかく、℃-uteは時間を突き詰めてきた。』



あーそうか。
Berryz工房―空間 × ℃-ute―時間 って、いけますか。
さらに僕はBerryz工房―空間―恋 × ℃-ute―時間―愛 という風に持っていきたい。
これは印象から来る多分にこじつけの面を免れないけれども、Berryz工房が空間、℃-uteが時間というのは自分ではしっくり来る。「放課後のエッセンス」が「時間」がテーマであるのに対し、Berryz工房はツアータイトルで「Berryz宮殿」と言っているくらいなのだから、やはり空間がテーマになるのでは?(観に行った人のコメント求む
なぜこうなるのかという説明は簡単だ。Berryz工房が横ライン、℃-uteが縦ラインだからだ(参照)。Berryz工房がイメージとして同級生の集団と見えるため、学校での恋愛というような設定がしやすい。恋愛を巡る空間というのがBerryz工房ではよく出てくるのではないか(教室とか図書室とか)。一方で℃-uteは年齢差を感じさせるため、学校という設定でも先輩・後輩という関係性になる。イメージからくる恋愛の歌の歌わせやすさという点でも、どうしてもBerryz工房のほうになる。
例えば新曲を比較してみる。「告白の噴水広場」は空間を意識させた恋の歌。「私」と「あなた」の恋愛だ。一方「めぐる恋の季節」は時間を意識させた、恋を歌うと見せかけた愛の歌だ。「めぐる恋の季節」では一人称が「僕ら」、そして二人称が出てこない。そして歌の途中で、「恋」という名詞は「愛」にすりかえられている。これこそ歌詞における「娘。イズム」なのだ。ちゃんと書くと長くなるが、「恋レボ」あたりとの歌詞構造の類似をとりあえず指摘しておくにとどめよう。
また、Berryz工房の夏ツアー、℃-uteの秋ツアーのセットリストを比較するだけでも、いかに℃-uteが恋以外の歌を多く歌っているかが分かる。(さらに言えば、明らかに恋の歌である「桜チラリ」にしても、歌詞が具体的描写に欠ける分、彼女たちが恋をしている気がしない。)一方のBerryz工房は、特に「学校」という空間における恋愛のイメージをアルバム曲やらカップリング曲で喚起されやすい。
ところで、「空間」と「時間」との差異として、空間はそこになにか物体があることで空間を意識できるという点で、空間を具象化できるのに対し、時間を具象化するのは難しい。Berryz工房の歌詞は具体的な女の子の日常(恋)を描く、という印象を僕は持っているが、具体物の描写による「空間」概念との親和性はあるのだろう。それに対して、℃-uteの歌詞は多くが抽象的であるように思われる。それは、愛を描きたいがため、なのではないのか。愛を描きたかったら、いま、を超えて、過去と未来を射程に入れなければならない。そうした、抽象性と、「愛」と「時間」。例えば「JUMP」の歌詞を見てみる。
この地球(ほし)に涙があり だからこそ 優しくなれる 何にも 変えがたい 生命の神秘の中に 未来の希望が託される
うーん、人類愛。ここにおいて、僕は娘。イズムを℃-uteが受け継いだと思える。


根拠が不明確な議論である。が、まあ面白い。Berryz工房ヲタの方がどう考えるか気になるところ。ともかく、Berryz工房℃-uteの対照性だけはみんなよく感じてるんではないかなあ。そこがハローの面白いところ。

追記:ぶるふぉぼさんのところ(http://d.hatena.ne.jp/BluePhobos/20070916/p1)で、PV画像含めて実証していただきました。どうもありがとうございます。そちらも合わせてお読みいただければ。