おいも屋本舗に行って来た。

いつか行こうと思っていたおいも屋本舗に行って来た。http://www.oimoya.jp/
U-15専門店である。ホームページに店内の様子があるので、それそのまんまといった雰囲気。
ちなみに、ハロプロ関係では、熊井の写真集が辛うじて売っているのみ。


店内は、U-15の写真と写真集とDVDがこれでもかと置いてある。
ハロヲタとして耐性が出来ている身でも結構な破壊力。「視聴覚室」で、DVDを座って見れるようになっているので、しばらく見る。
さて、慎重に、だけどとりとめもなく語りたい。
まずは、当然の感覚としてやって来る、「いくらなんでもまずいだろう」の印象。十歳にも満たないような子供が水着姿で全身を泡まみれにして洗っている図。Tバック姿、あるいはレオタードでの開脚。しかし、僕は頭ごなしにU-15を非難する気にはなれない。それはハロプロにだってゆるやかにつながる話だから。

[抜けるということ]
閉口せざるをえないのは、DVDにしても、写真集にしても、やはり露骨に「抜く」ことを想定したつくりであることが見え見えであるということ。そうした方向性を僕は否定できないとは思うのだけれど、ちょっと振れ幅が大きすぎるんでないかと思う。僕のイメージする「U-15」ってのは、少なくとも性欲メインではなくて、例えば ロリータ治療塔さん無断リンク申し訳)のように「憧れ」という感情であったり、森岡正博「感じない男」における同一化志向であったり、というのがむしろ強いものだ。
僕はこうしたDVDを買おうとは思わない。なぜか倫理的な縛りがかかるからだ。だけれども、そんな縛りは大した拘束力を持たないことも分かる。人は慣れで、U-15で「抜く」ことになんの阻害要因もなくなるだろう。むしろアニメ絵よりずっと現実的である。そしてまた、年齢なんてものは差異化するための記号でしかないし、詐称することもできる。身体的な成熟度で言うならば、U-15とそうでないものの境界線はないに等しい。消費者と生産者がどんどん「抜き」志向になる。これは即物的で想像力の欠如、と言ってしまいたい事態であるが、どうか。

[エロとか美とか]
エロ志向の映像は美しいと思えない。そんな中で、「視聴覚室」で見た、セーラー服のままでプールに入った少女を水中からのみ撮影した映像は美しかった。そういう美の追究心みたいなものは、全般的にはあまり感じない。前に書いたが、素材をうまく活かした作品であるのだろうかという疑問。どうも、ジャンクなファーストフードのイメージがつきまとう。とりあえず濃い味にしときゃいいだろ、みたいな。そうした、エロの過激化は、より幼く、という方向と、露出を多く、の方向を限りなく推し進める。もう限界ですよ。「5歳」とか、置いてあるけど、もう限界ですよ。露出も、毛が生えない分、隠さなければいけない部分の面積が限りなく小さくされて、もう限界です。それにしても、露出すればエロか?まるでお金があれば幸せ、みたいな短絡。

[想像力]
実はU-15こそ、想像力を発揮できるジャンルではなかろうか、とまた一方で思う。はじめてメタファーとして意図的に笛を吹かせようと考えた人の想像力はすごいと思う。「少女の無自覚的振る舞い」⇔「大人の読み込み」ってのが平和な構図だったのに。お風呂で遊んでいるのも、ちょっとスカートがめくれてしまうのも、子供どうしがくすぐりあっているのも子供にとっては全く当たり前のことで、それを大人が勝手に読み込んでいっても彼女たちには直接的に被害はない、という点でまだ穏やかだ。だけど、今はもうその笛やバナナの意味を少女が理解してしまっている、たぶん。そうなると雲行きは怪しい。行き着く先、Tバック姿でこちらを見つめる少女のどこに無自覚があるか。Tバックの彼女は少女の世界の外部を見ている。それは消費者へのまなざしだ。容赦ない大人の視線に対抗する、性的な身体を持つ女としての視線だ。そうなると僕はもう、「かわいそう」と思わざるをえないのだ。暴力だと思ってしまう。
だったらもう、自我も芽生えようのない5歳くらいの身体を性的に読み込むという倒錯のほうがまだ倫理的だろうか。そうなると、アニヲタの方がよっぽどましだ、ということになってくる。ランドセルを背負った18歳の未成熟な少女という設定が許される世界。あるいは、人間でないものに「攻め」「受け」と読み込んでいく世界。

[倫理]
U-15のことを考えると、否定的な方面にどうしても話が進んでしまう。けれども、僕はおいも屋本舗はお店としてはすごく魅力があると思う。ビジネスとしてうまくいっていると思うし、こういう店があることを肯定的に捉えている。だけど、やっぱり過激化が僕は倫理的にまずいと思うし、代替不可能な必要性を持つと思えない。アマゾンがU-15のDVDの販売を一部停止するのも無理はない。U-15は過激化する必要なんてない。そんなもの、ロリ顔の大人で十分代替可能だからだ。少女ゆえの代替不可能性に目を向けないといけない。
フェミニズムの議論では、性平等的な「エロティカ」と、性差別的なものを「ポルノ」と区別して前者のみ認めるという考え方もあるようだが、無理を承知の上でその区別を試みてみるのも面白いかもしれない。僕が求めているのは、たぶん「エロティカ」のほう。「ポルノ」は、別にU-15やハロプロでないものに代替可能だからだ。